佐祐理は非常に分かり易い性格をしており、ファンの間でも特別解釈が分かれる点はないと思われるが、確認のために彼女の性格をまとめておきたい。
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端的に言ってしまえば、佐祐理は弟の一弥に対して世間一般の「正し」い接し方をした結果彼を苦しめて後悔したことから、「正し」さに苦しめられている舞に対して、「正し」くはないけれども、自分が信じる接し方をしようと心に決めているキャラクターである。
ここでいう「正し」さとは、社会的なステータスのある父のやりかた、佐祐理が通う高校の生徒会のやりかた、強者の論理、硬直的で個々人の事情や感情を無視した制度といったものであろう。
気をつけるべきは、佐祐理はそうした「正し」さを否定はしていないことである。例えば「正し」い父に対しても、
> 【祐一】「佐祐理さんのお父さんって厳しくない?」
> 【佐祐理】「はい? とっても優しいですよ?」
> 否定されはしたが、それはそれでお嬢様の答えであるような気もする。
> 舞も見るからにそうだけど、佐祐理さんにしても、普通ではない気がしてきた。この中では俺が一番まともな学生に思えてくる。
> 【佐祐理】「でも、昔は厳しかったんですよ。そのおかげで佐祐理は真っ直ぐ育ちましたけどね」
(共通1月13日昼食時)
と評価している辺り、彼女は「正し」い父親なりの優しさを汲み取っているのであろうし、また現に
> わたしが今、両親に感謝している
(佐祐理シナリオ1月26日登校時)
のである。ただ、そうした「正し」さでは救われない一弥や舞のような人間に対しては、
> 正しいと思っていたことは、正しくなかった
(佐祐理シナリオ1月26日登校時)
とも考えており、正しさを絶対的にではなく相対的に捉えていると思われる。
また、佐祐理は舞に対して一弥からのいわゆる感情転移を行っているが、彼女自身がそれを自覚しており、また自らその行為に区切りを設定していることも特筆に値する。
> それでも、幸せにしてみたい。
> そして、それは、わたし自身が幸せになる、ということだ。
> 温かな思いが胸に広がると、わたしは思い出していた。
> ひとは、ひとを幸せにして、幸せになれる、ということを。
> この学園での三年間の生活は、この子と一緒にいて、ふたりで幸せになろう。
> それは、正しくなかった姉に一弥が教えてくれた、大切な『正しいこと』だったのだと思うから。
> 相手に幸せを与えて、みんなで一緒に幸せになる。
> 一生懸命に、幸せになろう。
> 【佐祐理】「出会ったんですよ、わたしが頑張れる目標と」
> 【佐祐理】「佐祐理はまだ…まだまだこれからなんです」
> 【佐祐理】「がんばってる最中なんです」
> 【佐祐理】「だから…もう少し待ってくださいね」
(佐祐理シナリオ1月27日放課後)
佐祐理が一弥以外の男に対して敬語しか使えないのは、佐祐理にとって一弥がまだ消化しきれない問題として心に残っていることを意味するのであろうが(現に彼女は一弥を理由に自殺を図っている)、舞が幸せになればそれを乗り越えられる(舞の幸せが佐祐理の幸せなのだから、舞が幸せになればふたりで幸せになるという条件を満たす)と彼女は考えている。すなわち、舞が幸せになれば佐祐理は一弥を乗り越える、ということであろう。
こういった点を踏まえると、巷間の舞シナリオアフターでは佐祐理が暗い物語が目立つが、実は舞シナリオ後の佐祐理は案外幸せになれそうである。
もっとも、自分がどう歪んでいるのかを明快に語れる佐祐理というキャラに何か欺瞞を感じ、実際は、彼女は彼女自身の認識以上に歪んでいるのではないかと思うのも、無理からぬことではあろうが。
春日
2010年07月15日(木) 19時10分38秒 公開
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