倉田佐祐理。「Kanon」に出てくるヒロインのひとりです。明るくて、少し天然ボケの入っている、正真正銘のお嬢様です(笑)。彼女、物腰は至って丁寧なんですが、ある意味その行動は傍若無人なところがあります。ま、お嬢様の証明ですね(笑)。
あ、この後の話は、すっかりネタバレですから、気に入らない方は聞かない方がいいですよ(笑)。
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彼女は、「Kanon」というゲームの中では脇役ですね。川澄 舞エピソードに出てくる、舞の親友という位置づけです。
舞は学校の問題児で、先生たちや生徒会から目をつけられています。でも、佐祐理は舞の持つ純粋さ、優しさというものをよくわかっていて、いろんなことで舞の盾になるんです。
舞も、そんな佐祐理をかばい、助ける。
ほんと、絵に描いたような「親友」同士です。「走れメロス」の女性版ってとこですね(笑)。
でも、この「親友」というモノのかたち。実はこれは、佐祐理の中では、深い心の傷に根ざしたものだったんです。
倉田家という議員の家に生まれた佐祐理は、厳格な父の元で、「正しい子」として育てられます。やがて彼女に弟ができ、忙しい両親に変わって彼女が弟の面倒を見るようになります。彼女は、弟を、自分もそうやって育てられてきたように、「正しい子」として育てようとします。
無駄な遊びはしない。学校の行き帰りには寄り道をしない。厳格な父がそうしてきたように、彼女も厳格な姉として弟と接するのです。
やがて、弟が病気になります。もともと病弱で、言葉もあまりしゃべれない子供でした。そして、無邪気な笑いを忘れた子供。。。
病院のベッドで、楽しそうに笑うことなくふせっている弟を見て、佐祐理の中にあった「正しい子」という概念が揺らいでいきます。弟が彼女を見る目は、「こわいもの」を見る目でした。厳格な姉を心がけていた彼女でしたから、それはごく当然のことだったんでしょう。
「わたしは、一弥(弟です)とこんな風になりたかったのだろうか。一弥はわたしとこんな風に接していたかったのだろうか」
そして、佐祐理は、たった一度だけ「悪い子」になろうと決心します。家族の目を盗み、駄菓子屋で水鉄砲やらお菓子を買い込んで、病室のベッドにいる弟の元に行きます。
「さあ、一弥。お姉ちゃんと遊ぼう」
最初はいつものように警戒していた弟ですが、やがて、佐祐理と遊びはじめ、そして、今まで彼女が見たことがなかった、楽しそうな笑い声をあげます。
「そうだ。これだったんだ。わたしも、一弥も、こういうことが望みだったんだ。一弥の病気が治ったら、もっと一弥と遊んであげよう」
でも、佐祐理の決心が実現することはありませんでした。弟は死んでしまったんです。
そのときから、佐祐理の中で何かがかわってしまいます。自分を、自分という存在を、客観的にしか見れなくなってしまった。。。「正しい子」として自分はここにいる。だけど、本当の自分はここにいる自分じゃない。
佐祐理は、自分のことを「佐祐理」と言います。普通、一人称には、わたし、とか、あたし、とか使うものですが、自分を本当の自分としてとらえられなくなってしまった彼女には、自分のことを、ここに存在している自分という物体を、「佐祐理」と呼ぶことがごく当然のことだったのです。
佐祐理は、自分の手首を切ったことがあります。
そのときも、本当の自分は宙に浮いていて、手首を切っている自分のかたちをした物体を見ながら、ああ、こうやって自分は死ぬんだな、と感じていたといいます。
そんな彼女が出会った人。川澄 舞。無口な舞は誰からも誤解され、不良というレッテルを貼られていました。でも、空腹の野犬に自分の拳をかませていた舞。そんな彼女の優しさに触れ、佐祐理は、自分が弟にしてあげられなかったことを彼女にしてあげようと思います。
気づいたときにはその対象を失っていた佐祐理の想いは、再びその対象を見つけたのです。
愛というもののかたち。愛を求める者に鞭を与えてきた日々。その償いは、佐祐理が舞を幸せにしてあげることで満たされていくことになる。
少し、長くなってしまいました。ゲーム中の佐祐理は、よく笑う、とても明るい人物として登場してきます。でも、そんな彼女にも陰の部分がある。
わたしの演じる佐祐理は、少しでも彼女の想いに近づけているでしょうか?