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[펌.] 일본의 옛 지명

 
旧国名地図
【旧国名地図と五畿七道】 【古事記に見える旧国名】 【国の変遷】 【消えた国名】
作成雑記にて地図の修正版を先行公開中

旧国名地図と五畿七道

■旧国名地図

 「国(くに)」とは、日本で古くより用いられてきた行政区画であり、地方単位としては現代の都道府県に相当する。

 各国の領域が画定したのは九世紀頃であり、それ以降、日本全国は六十餘(あま)りの国に分けられることとなり、この制度は明治時代初期まで用いられた。以下はその一般的な地図である。

 なお、表記は現代の国語表記のものとしたが、《》内に正字(旧字)を記した。

 また、「出羽」「陸奥」内の諸国は明治2年に分割されたものであり、江戸時代までの国には含まれない。(古代には「岩代」「磐城」が存在したこともある)。

旧国名地図

■五畿七道

 「五畿七道(ごきしちどう)」とは、都からの経路を基準として、全国の国々をまとめた地方区分である。
 都の周辺地域(山城国・大和国・河内国・和泉国・摂津国の五ヶ国)は畿内(きない)と定められ、各地方(西海道を除く六道)はその畿内から接続する形でまとめられ、各方面に長く伸びている。これは古代の街道や流通等のあり方に由来するためであるが、東海道や北陸道等はそのまま街道名ともなり、現代の交通網(鉄道・自動車道等)においても見ることができる。
 なお、七道のうち、西海道(九州)は畿内との直接の接続が不可能であるため、九州には大宰府(だざいふ)という朝廷の出先機関が置かれることとなった。(もちろん海外との交流の窓口という意図等もある)。
 また、近江国(現在の滋賀県に相当)は古代において短期間ながら都が置かれたこともあるが、畿内ではなく東山道に含まれる。
 また、図中に縞模様で記した武蔵国(同・東京都+埼玉県)は元々は東山道に含まれていたが、後に東海道に変更された。これは古くは相模国(同・神奈川県)から船で上総国(同・千葉県中南部)に渡るのが一般的であったが、街道(陸路)が整備されてその必要がなくなったためと考えられている。(なお、記紀に見えるヤマトタケル尊▼の遠征伝承においても、一行は船で房総半島に渡っている)。

■国と州

 日本の全地域を指す言葉に「全国」があるが、これは以上のような「国」の制度に基づくものである。また、「日本全国六十餘州(ろくじゅうよしゅう)」なる言葉があるが、これは日本が六十餘(あま)りの国々に分かれていたことを表わす言葉である。
 この「州」とは島の意であるが、古代中国では地方区画の単位に「州」があり、日本においても「国」の漢語的表現として「州」を用いることがある。
 たとえば、尾張国のことを「尾州(びしゅう)」、紀伊国のことを「紀州(きしゅう)」と呼ぶ。長門国は「長州(ちょうしゅう)」、信濃国は「信州(しんしゅう)」、武蔵国は「武州(ぶしゅう)」、甲斐国は「甲州(こうしゅう)」、三河国は「三州(さんしゅう)」である。以上は国名の一文字目に「州」をつけたものであるが、二文字目の例としては安藝国の「藝州(げいしゅう)」、出雲国の「雲州(うんしゅう)」等の呼称がある。
 ただし、他の国に同じ字があって紛らわしい場合や前後・上下に分割された国の場合、「州」を用いないことも多く、特に理由もないのに「州」が用いられない国もある。なお、上野国と下野国は上下に分割された国であるが、上野国のみ、なぜか「上州(じょうしゅう)」の呼称が浸透している。(手持ちのIMEでは「こうづけ」も「こうずけ」も変換できないのに、「じょうしゅう」は最初から登録されている)。

古事記に見える旧国名

 以下は、『古事記』に記載の見える旧国名である。後に一般的となる表記と同じものを【】内に記し、領域を青色で塗った。また、表記が異なるものは領域を黄色で塗り、両方の表記があるものは領域を緑色で塗った。
 ただし、「○○国」と記載されていないものを含む。
 また、国名・地名として記載されたもののみを記し、氏姓・官職名等に附随するものは除外した。(たとえば、「无邪志國造」は「武蔵」の氏族、「周芳國造」は「周防」の氏族であるが、ここでは除外した)。
 なお、これはあくまでも『古事記』に記載された国名のみを取り上げたものであり、編纂当時の制度や地理観を示すものではない。(たとえば「吉備国」は、編纂当時にはすでに分割されている)。

旧国名地図(古事記)

 なお、図中の「相武(さがむ)」は「相模(さがみ)≒神奈川県」のことであるが、『古事記』にこの国名が記載されている箇所では焼津(静岡県焼津市)のことを説明しており、『古事記』の間違い。国名を記すならば「駿河(するが)」となる。

国の変遷

 国名とその領域がほぼ画定したのは九世紀頃のことであり、それ以前には幾度も分割・合併等が行われている。

 ただし、国境(くにざかい)に関しては、洪水による河川流路の変化、領主間の紛争等により、時代によって微妙に変動している場合が多い。(たとえば、戦国時代の「尾張」の織田氏と「美濃」の斎藤氏の紛争は、木曽川の氾濫やそれに伴う村の移動にも一因があり、織田氏と今川氏の紛争も、「尾張」と
「三河」の国境に関する主張の違いが背景にある。また、江戸時代には、江戸の町域が拡大したことにより、隅田川以東の地域が「下総」から「武蔵」に編入されたというような例もある)。

 なお、分割された国名における「前・中・後」「上・下」は、都のある畿内に(経路として)近いものを「前」「上」、遠いものを「後」「下」と呼んだものである。


律令以前吉備国を備前国・備中国・備後国に分割 (後に備前国より美作国を分置)
筑紫国を筑前国・筑後国に分割
豊国を豊前国・豊後国に分割
肥国を肥前国・肥後国に分割
越国を越前国・越中国・越後国に分割 (後に越後国より出羽国を分置)
毛野国を上野国・下野国に分割
総国を上総国・下総国に分割 (後に上総国より安房国を分置)
680年伊賀国を伊勢国より分置
701年島国を建置 (※斜体は「示」偏に「陸」の右側、その右に「丸」) 
702年薩摩国を建置
712年『古事記』が完成して献上される (異論もある)
出羽国を越後国より分置
713年丹後国を丹波国より分置 (丹「前」・丹「後」とはならず、丹波の国名は残る)
美作国を備前国より分置
大隅国を日向国より分置
716年和泉国を河内国より分置 (後に併合、さらに分置)
718年安房国を上総国より分置 (後に併合、さらに分置)
能登国を越前国より分置 (後に越中国に併合、さらに分置)
718-727年頃岩背国・岩城国を陸奥国に併合 (明治時代になって分置)
721年諏方国を信濃国より分置 (後に併合)
731年諏方国を信濃国に併合
736年芳野国を大和国より分置するも、すぐ後に併合
740年和泉国を河内国に併合 (後にさらに分置)
741年能登国を越中国に併合 (後にさらに分置)
安房国を上総国に併合 (後にさらに分置)
743年佐渡国を越後国に併合 (後に分置)
752年佐渡国を越後国より分置
757年和泉国を河内国より分置
能登国を越中国より分置
安房国を上総国より分置
823年加賀国を越前国より分置
824年島国を大隅国に併合
明治2年陸奥国を磐城国・岩代国・陸前国・陸中国・陸奥国に分割
出羽国を羽前国・羽後国に分割

 以上の変遷は、『日本語大辞典』(講談社)の巻末附録を参考に、独自に年表にまとめたものである。

消えた国名

 上記の年表の中から、国名確定によって消滅してしまった国名を取り上げ、簡単に説明する。


吉備 きび岡山県及び広島県東部。古い時期に分割されたが、呼称は定着。
筑紫つくし福岡県(東部を除く)。古い時期に分割されたが、呼称は定着。九州島の古称でもある。
とよ大分県及び福岡県東部。古い時期に分割された。
長崎県・佐賀県・熊本県。古い時期に分割された。語源俗解として「火の国」が知られる。
こし北陸地方。古い時期に分割されたが、各領域がなかなか確定しなかった。
毛野けの群馬県・栃木県。「けぬ」と訓む研究者もいるが、「けの」であろう。古い時期に分割された。分割後は「上毛野(かみ・つ・けの)」「下毛野(しも・つ・けの)」を略して「上野(こうけ)」「下野(しもつけ)」となった。その過程から、「上野」を「こうけ」と表記するのは問題。これは『忠臣蔵』の吉良上野介や埋蔵金伝説で有名になった小栗上野介等にもいえる。なお、戦後の国語表記の矛盾に異議を唱える「づ」を守る会という団体?がある。
ふさ千葉県(ただし利根川や江戸川の流路の変化、隣国への編入等により、現在の県境とは一致しない)。古い時期に分割された。分割後は「上総(かみ・つ・ふさ)」「下総(しも・つ・ふさ)」を略して「かさ」「しもうさ」となった。これも「上総」を「かさ」と表記するのは問題。
たねがしま
(たねしま?)
鹿児島県の種子島。約百年間、一つの国とされていたらしいが、資料がないのでよくわからない。南西諸島を含めた地域を一つの行政単位と定めたものか。離島の国としては「佐渡」「淡路」「隠岐」「対馬」「壱岐」がある。
岩背いはしろ
(いはせ)
福島県西部・中部。奈良時代に「陸奥」に併合され、明治時代になって「岩代」として分置された。現代語では「いわしろ(いわせ)」。
岩城いはき福島県東部。奈良時代に「陸奥」に併合され、明治時代になって「磐城」として分置された。現代語では「いわき」。地域名として「いわき市」等に残る。
諏方すは長野県中部・南部。諏訪(すわ)地方。ごく短い期間、一つの国とされた。
芳野よしの奈良県南部。吉野地方。ごく短い期間、一つの国とされた。

출처) //j-myth.info/database/map00.html 
日本神話の御殿

치세
2012-11-29 17:27:23
7201 번 읽음
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